絵本「わすれられない おくりもの」

「わすれられない おくりもの」

評論社の児童図書館・絵本の部屋
スーザン・バーレイ さく え
小川仁央      やく

わすれられないおくりもの/スーザン・バーレイ/さく え 小川仁央/やく 本・コミック : オンライン書店e-hon

前々回、死を題材にした絵本「いつでも あえる」という絵本について書きましたが、もう一冊 年をとり、死ぬのが そう遠くはないことを自身で悟っている アナグマと、その友達たちのお話「わすれられない おくりもの」という名作絵本について ブログを書こうと思います。

アナグマは賢くて、いつもみんなに頼りにされていました。困っている友達は誰でも助けてあげるし、また、知らないことはないというくらい、もの知りでした。
アナグマは自分の年だと、死ぬのが そう遠くはないことも知っていました。

アナグマ自身は、死ぬのを恐れてはいませんでした。からだはなくなっても、心は残ることを、知っていたからです。
だから、年を取り身体がいうことをきかなくなってきても くよくよしていませんでした。気がかりだったのは、自分のことではなく、後に残していく友だちのことを、あまり悲しまないでほしいと、心配していたのです。

 

でも、時の流れはとめられず、アナグマは本格的な冬の前に死んでしまいます。
「長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナグマより」
という手紙を残して…

悲しみに暮れる森の動物たち、長い冬の間、動物たちは泣き暮らします。失った喪失感は そう簡単に埋められるものではないでしょう。
寂しさや悲しい気持ち… でも 絵本「いつでも あえる」と同じく、残されたものの毎日は続いていくのです。
動物たちは 雪が消えはじめ、春の足音がきこえ始めたころ、外に出始め、互いにアナグマの思い出を語り合うようになると、気付き始めます。
アナグマが、たくさんの楽しい思い出とともに、ひとりひとりに
「別れたあとでも、たからものとなるような、ちえとくふうを 残していってくれたこと」に。そうして、少しずつ思い出を笑顔で語り合えるようになっていったのです。

物語の素晴らしさはもちろんですが、水彩とペンで描かれる優しい色彩の絵が素晴らしいです。
雪が解け始めたころに、雪の下から芽を出し可憐に咲くスノードロップの花が、みんなの悲しみにそっと寄り添い、溶かしていってくれていそうで、また、癒してくれているような感じで、印象に残ります。
また、アナグマが主人公だったり、スノードロップが描かれていたりと、イギリスの作者らしいところも感じます。

かけがえのない人を失って、悲しみの中にいる誰かの傍らに、何も言わず、そっと置いてあげたい絵本です。

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絵本「おべんとうバス」

「おべんとうバス」

ひさかたチャイルド
真珠 まりこ 作・絵

おべんとうバス | 真珠 まりこ,真珠 まりこ | 絵本ナビ:レビュー・通販

2006年に発行された 比較的新しいこの絵本には、保育士時代 本当に本当にお世話になりました。といっても、若い頃ではなく もう後半戦ですけど💦

まだ誰も乗っていない真っ赤なかわいい バス。
「バスにのってくださーい」 そして、次々にお名前が呼ばれます。  呼ばれるのは、お弁当のおかずでおなじみの ハンバーグやエビフライ、たまごやき達 (≧▽≦) 
緑のお野菜や、デザートの果物もみんな一緒にバスに乗り込んで さあ、出発です!

原色で描かれた鮮やかなキャラクター達が、本当に可愛らしく、また、リズミカルに繰り返される会話の文面が、小さな子ども達にピッタリです。
「ハンバーグさーん」
「はーい」
という声に合わせて、小さなおててを上げてくれる 微笑ましい光景が浮かびます。

保育士小道具の一つとして、ペープサートというものがあるのですが、私はこの絵本を題材にペープサートを作り、親子遠足のバスの中などで、毎年見せていました。
絵も色合いも作りやすい題材なもので、大いにお世話になったものです。
コロナ渦以降、遠足や園外保育など、下火になり、子ども達も戸外でお弁当を食べたり、バスに乗って、お友達と出かける事も少なくなり、少し残念な気もしますね。

「おべんとうバス」は、歌も作られていて、お話を歌にして読んでいくこともできます。とっても楽しい歌なので、YouTubeなどで検索してみると、また更に楽しむことができそうです。

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絵本「いつでも 会える」

「いつでも 会える」

学研研究社

菊田 まりこ

いつでも会える 絵本 に対する画像結果

 



可愛くて無邪気な小さな白い犬 シロ。
シロは、みきちゃんが大好き。大好きなみきちゃんといつも一緒。
ごはんも散歩も…
ずっと一緒にいられると思っていたのに、ある日 みきちゃんがいなくなってしまった。
シロは、大好きなみきちゃんがいなくなってしまった悲しみに押しつぶされそうになる毎日の中で、懸命にその悲しみを乗り越えようとします。そして……

 

 

 

 

この絵本を書店で見つけた時、私は自身の実母を、重い病で亡くしたばかりでした。大切な人を亡くすと、どんなに会いたくても、会えない、呼んでもらえない、触れたくても温かさを感じることはできなくなります。
そして、自分が寂しさや悲しさを感じると同時に、亡くなった人の心に思いを馳せるのです。
どんなに生きたかったか、一緒にいたかったか、色んな事をしたかったか、それが叶わず逝ってしまったことに、胸がつぶれそうに痛むのです。

シロも 「シロって、よんで。あたまを なでて」と、心で叫び、悲しみます。
みきちゃんだって、もっともっと生きていたかった。もっともっと遊びたかった。もっともっと…
その悲しみが癒えるのは、やはり、時間しかないのでしょう。

 

 

 

悲しみにくれる時間の中で、同じ悲しみを抱く家族や周りを取り巻く人たちと過ごし、話し、聞いてもらいながら、亡くなった方を偲ぶ中で、少しずつ胸の痛みを流せるようになると、シロのように「とおくて、ちかいところに いたんだね」という思いを、時々はもてるようになるのかもしれません。


母が亡くなった頃に、三人の子どもの母親だった私は、この絵本を読み、母を思いました。私にも、こんな気持ちになれる日がくるのだろうかと…
母が亡くなっても、当たり前ですけど、残された者の日々は続いていきました。どんなに悲しくても、お腹もすくし、やらなきゃいけないこともたくさんありました。それでも ぶれずに、日常生活を続けていく事ができたのは、母が私を愛情いっぱいに育ててくれたからだと思うことができるようになり、シロのように、目をつむると、母を微笑んで思い出せる日も多くなってきたのです。
そう、母は遠くてちかいところに、いつもいてくれたのです。

 

 

短いお話のシンプルな文体の中に、悲しさ、優しさ、思いやり 等 様々な思い を感じさせてくれる一冊だなぁと、開くと いつもちょっとウルッとします。

 

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